ぐんま謎学の旅 続・民話と伝説の舞台(8) 「やきもち地蔵尊」2026年08月07日号

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夜遊びが過ぎたイケメン地蔵の顚末

なんとも俗っぽいお地蔵さまがいたものだ。仏に仕える身でありながら“女地蔵”に恋をして、夜な夜な寺を抜け出して会いに出かけたという。見かねた寺の住職らは、恋路を邪魔することに……。

「やきもち地蔵尊」の名前の由来

 ちょうど20年前である。まだ私がタウン誌の編集者をしていた頃のこと。「おかしなお地蔵さんがいる」との情報を受けて、館林市へ向かったことがあった。なんと、そのお地蔵さんは周囲を頑丈な木の柵に囲まれ、監禁されていたのである。なぜ、こんなお姿になってしまったのか? 今回、その謎を検証すべく、再度訪ねてきた。
 館林市郊外、田園風景が広がる木戸町に常楽寺はある。境内には二階建ての鐘楼堂、かやぶき屋根の阿弥陀堂、そして右手には宝暦4(1754)年建立の間口十二間という大きな本堂があり、幽玄壮大な雰囲気に包まれている。ただ、その中に一つだけ異彩を放つ建造物がある。
 山門を抜けると、まるで通せんぼするように立ちはだかる大きな石造丸彫りの地蔵菩薩像。享保11(1726)年建立の「やきもち地蔵尊」だ。こんな伝説がある。
 この男地蔵さん、こともあろうが500メートル北にある女地蔵に恋をしてしまったのである。それだけならまだしも、夜な夜な矢場川沿いの土手伝いに、遊びに行くようになってしまった。
 「地蔵の夜ばいなんて聞いたことがない」と、住職をはじめとする寺の世話人たちは大いに立腹し、ついには二度と会いに行けないようにと、地蔵の周囲に木の柵を作り、外出を阻止してしまったのである。それ以降、夜遊びはなくなったので、団子や焼き餅をあげて供養したとのことだ。
 「やきもち地蔵尊」と呼ばれる由来には、こんな伝説もある。その後、寺の裏の矢場川に架かる江川橋を婚礼が通ると、必ず離縁になるようになってしまった。それゆえ人々は江川橋のことを「縁切橋」と呼び、婚礼の時には渡るのを避けたという。そして、これは捕らわれの身となった男地蔵が、「新婚夫婦に嫉妬する(焼きもちを焼く)ため」といわれ、焼き餅を供えてお参りするようになったともいわれている。

やきもち地蔵尊

常楽寺

恋の願い事がかなう色地蔵

 お地蔵さまといえば、ふつう寺の境内や路傍に置かれた小さな立像を思い浮かべるが、このお地蔵さまは台座の上に座っている。しかも身の丈2~3メートルはありそうな巨体で、粋に片膝を立てている。なぜ、こんなポーズをとっているのか?
 解釈は色々あるようだが、いつでも立ち上がって救いに向かう準備をしている姿とも、困っている者に寄り添って考え続ける姿ともいわれている。改めてお顔を拝見すると、実に柔和でやさしいお顔をしている。しかも、かなりのイケメンだ。女地蔵にモテるのも無理はない。さぞかし地蔵界のドンファンとして、浮世を流したことだろう。
 さて、気になるのはお相手の女地蔵である。彼がそれほどに夢中になるのだから、さぞかしイイ女に違いない。
 栃木県境を流れる矢場川に架かる落合橋のたもとに深諦寺はあった。応永2(1395)年開山の古刹である。
 常楽寺の男地蔵が恋をした女地蔵は、境内の片隅にひっそりと鎮座していた。彼女の名前は「日限り地蔵尊」という。どんな疫病でも、恋の願い事でも日を限ってお願いすると、必ずかなうらしい。が、地元では俗称で「色地蔵」とも「エロ地蔵」とも呼ばれている。これまた、なんとも俗っぽいお地蔵さまである。
 どれほどの美人なのかと、お顔を覗き込んだ。ん~、私にはふつうの石仏にしか見えない。右手を頬に当て、首をかしげている如意輪観音像である。
 ここで一つ、疑問が生じた。そもそも地蔵や観音に男女の性別があるのだろうか? いや、ないはずである。ならば男地蔵も女地蔵も存在しない。勝手に夜ばいと決めつけられ、夜遊びが過ぎると責められて、はては台座ごと牢屋に監禁されてしまった「やきもち地蔵尊」は、人間たちの煩悩により捕らわれた被害者である。冤罪が解かれる日は来るのだろうか? 謎学の旅はつづく。

(フリーライター/小暮 淳)

矢場川

日限り地蔵尊
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