湖畔の新天地で歴史をつむぐ 「川原湯温泉」 長野原町
昭和27(1952)年、のどかな温泉街に突然、ダム建設の計画が持ち上がった。それから約70年。令和2(2020)年3月にダム湖が完成し、紆余曲折の長い闘争と翻弄の日々が終わった。川原湯温泉は、また新たな歴史を刻み始めた。
川原湯神社から不動の滝へ
「お祝いだ(お湯わいた)、お祝いだ(お湯わいた)」
毎年1月20日の極寒の早朝、かけ声とともに、ふんどし姿の若衆が湯をかけ合う「湯かけ祭り」。湯が湧いたことを喜び合う、全国でも珍しい奇祭だ。昔、雑誌記者として、旧川原湯温泉のこの祭りを取材したことがある。あれから30年間、その後も一軒また一軒と宿が姿を消す姿を取材し続けてきた。
今回、初めて移転したJR吾妻線の川原湯温泉駅に降り立った。無人の駅舎は真新しくきれいだったが、平日のせいか駅前は静かだった。
まずは川原湯神社に詣でた。平成29(2017)年3月に旧温泉街から遷座した川原湯の鎮守様である。手を合わせ、新生温泉地の発展を祈願した。
県道を西へ歩いて「不動堂」へ。川原湯で一番古いといわれる神仏で、名瀑「不動の滝」の傍らに鎮座している。落差90mの三段の滝で、以前は下段しか見ることができなかったが、ダム湖に架かる不動大橋の完成により全段を見ることが可能になった。新緑もいいが、紅葉のシーズン、冬期の全面凍結時も絶景だという。
地元食材を使ったダムカレー
長さ590m、橋脚の高さ80m。世界初の「鋼・コンクリート複合トラス・エクストラドーズド橋」という不動大橋を渡った左岸のたもとに、道の駅「八ッ場(やんば)ふるさと館」がある。「八ッ場」とは完成した「八ッ場ダム」のことで、湖名は「八ッ場あがつま湖」という。
ご多分にもれず、ここの名物は「八ッ場ダムカレー」。ダムを形どった仕切り板で、ルーとライスが分けられていた。甘口は野菜、辛口は舞茸の2種類あり、ともに地元食材を使っている。
ここからは車の往来を横目に見ながら、国道沿いを歩く。全長約300mの久森トンネルを抜けると、やがて八ッ場大橋に出た。長さ、高さともに不動大橋には劣るが、ここからの眺めは絶景だ。振り返ればクジラが大口を開けているような奇怪な山容を見せる丸岩、正面には圧巻の存在感で高さ116メートル、堤の長さ290・8メートルの巨大ダムがそびえている。下流には国指定の名勝「吾妻峡」が残された。
湯上りに香り豊かな地ビールを
八ッ場大橋を渡ったところが、代替地に移転した新生・川原湯温泉街である。旧温泉地には約20軒の宿泊施設があったが、現在、移転して再開した宿はまだ6軒だけ。それでも温泉街を歩くとレストランや食堂、美容院、みやげ屋のほか民家やアパートが点在していた。新しい歴史は刻まれ始めたばかり。10年後、20年後の温泉街が楽しみだ。
湯の里ハイクのゴールは、共同浴場の「王湯」。旧温泉街から真っ先に移転して営業を始めた、いわば川原湯の顔だ。「王湯」の玄関前には赤紫色した大きな石が置かれているが、こんな伝説がある。
昔、源頼朝が浅間山へタカ狩りに出かけた際に、川原湯を通りかかると岩の間から温泉が湧いているのを見つけた。その時、傍らにあった石に衣をかけて湯に入ったことから「衣掛け石」と呼ばれるようになったという。現在「湯かけ祭り」は、ここ「王湯」前の広場で開催されている。
湯上りは、お約束の一杯を求めて、駅隣にある「川原湯温泉あそびの基地 NOA(ノア)」へ。ここはキャンプ&バーベキューが手ぶらで楽しめる施設で、屋内にはカフェや日帰り温泉施設、観光案内所がある。さらに地ビールの醸造所まで併設されていた。電車の出発時間まで、香り豊かなクラフトビールを存分に味わった。