ぐんま謎学の旅 続・民話と伝説の舞台(7) 「馬にまつわる開湯伝説」2026年02月20日号

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薬師如来が告げた冷泉とぬる湯

その昔は熱い湯が湧いていたのに、ある日突然、冷泉やぬる湯に変わってしまったという。不思議な開湯伝説を求めて県内の温泉地を訪ねると……。
そこには共通の動物が関係していた。

皮膚病と胃腸病に特効あり

 今年の干支は「午」。ということで馬にまつわる伝説がある県内の温泉地を訪ねた。
 やぶ塚温泉(太田市)の歴史は古く、天智天皇の時代(約1300年前)と伝わる。元弘3(1333)年に新田義貞が鎌倉に攻め入ったとき、傷ついた兵士をこの湯で癒やしたことから「新田義貞の隠れ湯」ともいわれている。
 開湯には、こんな伝説がある。昔、やぶ塚の地に「湯の入」というところがあり、小さな社の下の岩の割れ目から、こんこんと湯が湧き出していた。ある日、この温泉に馬が飛び込み、一声高くいななくと、雲を呼び雨を起こして天高く舞上って行った。すると温泉は、たちどころに冷泉に変わってしまったという。
 ところが村の古老の夢枕に薬師如来が現れ、「悲しむではない。この水を温めて入浴すれば、万病がたちどころに治り、長寿をまっとうできる」とのお告げがあり、爾来、やぶ塚温泉は冷泉ながら沸かし湯の名湯として栄えてきた。温泉街の裏山に温泉神社があり、伝説に登場する薬師如来が祀られ、神社のふもとから冷泉が湧き出ている。
 源泉名を「巌理水」といい、泉質はメタけい酸・炭酸水素ナトリウム泉。昔から「おできは、やぶ塚に行けば治る」と言われ、皮膚病に特効があり、飲むと胃腸病にも効くといわれている。うっすらと生成り色した湯は、ローションのように肌にまとわりつく浴感があり、まろやかでやわらかい。
 文豪の田山花袋は、やぶ塚温泉のことを著書『温泉めぐり』(大正7年)の中で、こう書き記している。
 <藪塚という温泉は、その以前は余り人に聞こえなかった温泉場である。それにわかし湯であるし、そう大した設備も無論なかったので、単に地方の百姓たちの骨休めに行くところとして近所の人々に知られていたくらいのものであった。それが東武線が相生まで開通して以来、新聞の広告や汽車の名勝案内にも書かれるようになった。>(原文のまま)
 温泉地の数少ない東上州で、やぶ塚温泉が群馬を代表とする名湯となったゆえんである。

やぶ塚温泉入口
温泉神社

ぬるくとも効能あつき湯

 大塚温泉(中之条町)にも馬にまつわる開湯伝説がある。
 湯の起源は平安時代前期と伝わる。安土桃山時代、沼田城主の真田信幸の妻、小松姫の知行地(領地)となり、街道沿いの温泉場として栄えたという。
 その頃の湯は温度も高かったが、現在のようなぬる湯になってしまった理由には、こんな伝説がある。慶長12(1607)年のこと。あまりの忙しさに不満がつのった下女が、馬の骨を湯の中へ投げ込んでしまった。すると湯の守護神である薬師如来の怒りにふれ、湯がぬるくなってしまったという。
 「うちはさ、昔からの湯治場だから、湯を温めなんかしない。あつい湯は、心臓や肺に負担がかかるしね」と、一軒宿の金井旅館4代目主人の金井昇さん。源泉の温度は体温より低い約34度のアルカリ性単純温泉。ぬるい湯は長時間の入浴ができるため、血行が良くなり老廃物や疲労物質が排出され、精神の鎮静作用が高く、ヒステリーや不眠症、うつ病にも効能があるといわれている。また温泉成分が皮膚から吸収しやすいため、やけどや皮膚病にも効くといわれる。
 創業は明治時代。昇さんの曽祖父が温泉宿を始めた。しかし湧き出る湯の温度が低く、曽祖父は熱い湯の湧出を夢見たまま世を去った。曽祖父の意志を継いだ父の四平さん(故人)は、熱い湯の湧出を目的に、昭和49(1974)年に新たな源泉のボーリングに成功した。吹き出した湯は、工事の足場を吹き飛ばすほどの膨大な湯量だったが、湯の温度は相変わらずぬるかった。
 「流行にとらわれずに、これからも豊かな湯と昔ながらの湯治場のイメージを守っていきたい」。5代目を継いだ息子の慶一さんの言葉が胸に響いた。ぬるくとも効能あつき湯である。

(フリーライター/小暮 淳)

大塚温泉
金井旅館の浴室
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この記事を書いた人

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。
温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

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