牧水が愛した群馬の地酒と温泉 ー 第二話 嬬恋~草津~六合
歌人の若山牧水は、大正11(1922)年に長野から群馬を横断して栃木へ抜ける15日間の旅をした。ご存知『みなかみ紀行』である。いよいよ県境を越え、群馬での温泉と酒三昧の旅が始まった。
歴史を語る桜の巨木
10月17日午後9時。牧水は草軽軽便鉄道(通称・草軽鉄道)の嬬恋駅に着いた。
スイスの登山鉄道を模して、新軽井沢から草津温泉間を結んだ草軽鉄道が誕生したのは大正4(1915)年。牧水が降り立った時は全線開通はしておらず、嬬恋駅が終着駅だった。その後、電化され同15年に草津温泉まで開通。昭和37(1962)年に廃線となった。
嬬恋駅は、どこにあったのか? 以前、つま恋温泉「山田屋温泉旅館」の主人から、こんな話を聞いた。「宿があるあたりに駅があったと聞いています。私は小さかったので記憶にはありません。牧水さんは、うちの宿に泊まったのかもしれませんが、確かなことはわかりません」。
調べると駅舎は、旅館前の道路右手にあったようだ。旧構内にあった桜の巨木が、今でも道の端で歴史を語っていた。
翌18日は、朝から雨模様だった。
〈これから六里、川原湯まで濡れて歩くのがいかにも侘しいことに考えられ始めたのだ。それかといってこの宿に雨のあがるまで滞在する勇気もなかった。酔った勢いでこうした所へ出て来たことがそぞろに後悔せられて、いっそまた軽井沢へ引き返そうとも迷っているうちに、意外に高い汽笛を響かせながら例の小さな汽車は宿屋の前から軽井沢をさして出て行ってしまった。〉
牧水は途方に暮れた。
幻の酒 「銘酒 櫻川」
予定は未定の師匠と弟子の二人旅である。草津行きの自動車が、ほどなく駅前から出ること知った牧水は、頭の中に草津を中心とした地図を広げ、即座に第二の予定を作り上げ、宿を発つことにした。
草津温泉では「一井旅館」(現・ホテル一井)に投宿し、草津名物の“時間湯”を見学する。〈私には二度目の事であったが、初めて此処へ来たK―君はこの前私が驚いたと同じくこの草津の湯に驚いた。宿に入ると直ぐ、宿の前にある時間湯から例の侘しい笛の音が鳴り出した。それに続いて聞(こ)えて来る湯揉の音、湯揉の唄。〉
その晩、牧水が飲んだ酒は何だったのか? 日に一人で一升、相手がいれば二升を飲むという酒豪である。しらふで床に就いたとは考えられない。
草津から一番近い蔵元「浅間酒造」(長野原町)は明治5(1872)年の創業。「草津節」「浅間山」「秘幻」などの銘柄で知られているが、これらは牧水が訪れた大正時代にはなかった酒である。当時の銘柄は「櫻川」。どんな味の酒だったのか? 社員に聞いても誰も知るよしもないが、浅間酒造の観光センターには、「銘酒 櫻川」と墨字書きされた大きな陶器の酒樽が展示されている。
不思議な名前の温泉
10月19日。〈降れば馬を雇って沢渡温泉まで行こうと決めていた。起きてみれば案外な上天気である。大喜びで草鞋を穿く。〉
昔の人は健脚である。草津温泉より山道を歩き、峠を越え六合村(現・中之条町)へと下った。予定では沢渡温泉まで行くはずだったが、またもや気が変わってしまう。
分かれ道に小さな道標があり、「右沢渡温泉道、左花敷温泉」と書いてある。︿「K―君、どうだ、これから一つあっちの路を行ってみようじゃないか、そして今夜その花敷温泉というのへ泊まってみよう。」﹀
不思議な顔をして立ち止まった彼に、牧水は思い出を語り出す。3~4年前にも草津温泉に泊まったこと。その時、案内人が白根山の麓を指さして「あそこにも一つ温泉がある」と言ったこと。その温泉は草津と違って湯が澄み透っていること。崖下の岩のくぼみに湧き、崖に咲くツツジや他の花々が湯の上に影を落とすこと。そして、その様子がまるで花を敷いているようなので、花敷温泉というのだと。
〈どうだね、君行ってみようよ、二度とこの道を通りもすまいし、……その不思議な温泉をも見ずにしまう事になるじァないか。」〉
そこまで言われれば、弟子は師匠に従うしかない。花敷温泉まで、あと二里半(約10㎞)。旅は始まったばかりである。
(フリーライター/小暮淳)
【参考文献】
「新編 みなかみ紀行」(岩波文庫)
「きたかる VOL2」(北軽井沢じねんびと)
「草軽電鉄跡をドライブで探訪しませんか」(浅間山ジオパーク推進協議会)
【取材協力】浅間酒造株式会社