牧水が愛した群馬の地酒と温泉 ―  第四話  渋川~沼田~法師 ― 2024年09月20日号

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歌人の若山牧水は大正11(1922)年10月、群馬県を横断する旅に出た。ご存じ『みなかみ紀行』である。草津、花敷、沢渡、四万と温泉地をめぐった牧水は、いよいよ秘湯の一軒宿、法師温泉を目指して長い道のりを歩き出した。

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不思議な形をした電車

 牧水と弟子のK―君(門林兵治)は四万温泉に別れを告げ、中之条駅から電車に乗り、正午に渋川駅に着いた。2人はここで別れることになっていたため、駅前の小料理屋にて別杯を挙げた。鶏とうどんを食べたと記されているが、さて、その時飲んだ酒は? 知る由もないが、近隣には大正4(1915)年創業の柴崎酒造(北群馬郡吉岡町)がある。代表銘柄の「船尾瀧」を飲んだのかもしれない。

 午後3時、東京へ帰るK―君をホームに残し、牧水は10分早く出る沼田行きの汽車に乗った。〈渋川から沼田まで不思議な形をした電車が利根川に沿うて走るのである。〉とあるが、当時は馬車鉄道時代の客車をけん引する電気機関車が走っていた。

 夜7時半。沼田駅に降り立つと郵便局に行き、留め置きになっていた郵便物を受け取った。この時、局の事務員に「今夜は、どこに泊まるのか?」と訊かれ、変に思いながらも「鳴滝」と答えた。実は、この事務員、牧水の大ファンだったのである。そのことに気づかないまま、牧水は郵便局を出て、宿へと向かった。

現在の渋川駅

草鞋は「無二の友」

法師温泉長寿館

  〈風呂から出て一、二杯飲みかけていると、来客だという。郵便局の人かと訊くと、そうではないという。〉

 訪ねて来たのは4人の青年たちだった。彼らは地元の文芸愛好者で、郵便局からの通知で、今夜ここに牧水が泊まっていることを知ってやって来たという。さらに遅れて2人の青年がやって来て、総勢7人の酒宴が始まった。

 ちなみに旅館「鳴滝館」は後に廃業したが、昭和20年代に、うのせ温泉(みなかみ町)に移築され「鳴滝旅館」として営業を開始。現在は「旅館みやま」として営業している。

 翌早朝、牧水は昨晩の青年の一人、U―君(牛口善兵衛)を道案内に、法師温泉(みなかみ町)を目指して歩き出した。歩行距離9里(約36キロ)を歩こうというのであるから、つくづく昔の人は健脚だったと感心する。しかも草鞋だ。

 こんなエピソードがある。牧水は草鞋のことを「無二の友」と呼ぶほどの履上手だったらしい。ふつう草鞋は一日に一足を履きつぶすといわれるが、牧水は3日も持たせたという。

 歩き続けること約10時間。法師温泉の一軒宿「長寿館」に着いた時には、とっぷりと日が暮れていた。

酒なしにして何の楽しみ

牧水が泊まった部屋

 長寿館の創業は明治8(1875)年。本館、別館、湯殿が国登録有形文化財に指定されている。また若山牧水をはじめ与謝野晶子や直木三十五、川端康成ら文人たちが多く投宿したことでも知られ、牧水が泊まった部屋が今でも残されている。

 道中、猿ヶ京村(みなかみ町)から同行したM―君(松井太三郎)を交え、3人で部屋で酒を酌み交わしている時だった。〈其処へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入って来た。〉2人は牧水が法師温泉へ向かっていることを聞きつけ、後を追って来た地元のファンだった。当然、その晩も酒宴となった。

 牧水たちは何という酒を飲んだのか? 6代目の岡村興太郎会長によれば、岡村家は新潟県の出身で江戸時代から酒造業を営んでいたという。酒造名を長寿館醸造、銘柄は「養老」と称したが、明治29(1896)年に廃業している。

 「ということは牧水が訪れた大正時代には、その酒は造っていなかったのですね?」と問えば、「でも、その後もしばらく越後の酒を仕入れていたと聞いています。『白瀧』です」とのこと。新潟県湯沢町の銘酒である。

 では、若者が持参した一升瓶の中身は? 興味は尽きないが、いずれにせよ牧水と酒は草鞋同様、切っても切れない「無二の友」なのである。

幻の長寿館醸造「養老」のラベル

 『人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ』

(フリーライター/小暮淳)

参考文献
「新編 みなかみ紀行」(岩波文庫)
「マンガ 若山牧水 みなかみ紀行」(利根沼田若山牧水顕彰会)
「千日堂から牧水が眺めた・みなかみ」(みなかみ町まちづくり協議会 月夜野支部)
【取材協力】法師温泉「法師温泉長寿館」

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この記事を書いた人

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。
温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

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