ぐんま謎学の旅 続・民話と伝説の舞台(6) 新説「日光と赤城の神戦」2025年10月03日号

大蛇まつり(写真提供:老神温泉観光協会)
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なぜ赤城の神は入れ替わったのか!?

昔々、日光の神は大蛇に、赤城の神は大ムカデに姿を変えて戦った。一般的には、そう伝わっている。ところが老神温泉だけは、赤城の神が大蛇として祀られているのだ。なぜ、入れ替わってしまったのか?

ギネスに認定された大蛇みこし

 今年も5月に老神温泉(沼田市)で、「大蛇まつり」が開催された。巳年の今年はギネス世界記録に認定された全長108・22メートルの巨大大蛇みこしが、温泉街を渡御した。私も温泉大使として祭りに参加したが、盛大かつダイナミックな祭りだった。

 ところが祭りを見ていて、改めて長年引きずっている疑問が浮上してきた。やはり、おかしいのである。いつ、どこで神様が入れ替わってしまったのか? この祭りの由来には、こんな伝説がある。

 昔々、赤城山の神(ヘビ)と日光男体山の神(ムカデ)が戦い、傷を負った赤城の神がこの地で矢を抜いて、地面に突き立てると湯が湧き出たという。その湯につかり傷を癒やし、日光の神を追い返したことから「追い神」と呼ばれ、やがて「老神」の字が当てられたとのことだ。しかし一般に伝わる昔話「日光と赤城の神戦」は日光の神がヘビで、赤城の神がムカデなのである。

赤城山東南麓のムカデ信仰

 2018年8月、私は『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)という本を著した。この時、いくつもの赤城山周辺のムカデ伝説を取材した。たとえば赤城山の東南麓から平野部にかけての一帯では、昔からムカデは赤城の神の使いで、殺すと祟りがあると言われている。ムカデを見ても「ムカデ、ムカデ、赤城へお行き」と唱えて逃がしてやるそうだ。

 また桐生市にあるムカデの彫刻が施された「百足鳥居」は、赤城山が御神体である。太田市と館林市の赤城神社には、ムカデの板絵や彫刻が残されていて、ムカデが描かれた絵馬が奉納されていた。これは平成になって作られたものだが、桐生市の「山上城跡公園」には伝説に基づいた大蛇と大ムカデのレリーフが設置されており、<むかしむかし、赤城山の神様の大むかでと日光男体山の神様の大蛇とが争ったとさ>と記されている。

山上城跡園のレリーフ

 では、なぜ老神温泉だけは赤城の神がヘビになったのか? 改めて調べてみると前回の取材時には知り得なかった、いくつかの事実が判明した。

日光の神に包囲された老神

 まず赤城山以北には老神温泉を除き、赤城神社が存在しないのである。さらに奇妙なことに老神温泉を取り囲むように周辺には、二荒山神社が点在していた。二荒山とは男体山のことで、二荒の音読みの「ニッコウ」が〝日光"の語源ともいわれている。

 片品川をはさんだ温泉街の対岸には二荒山神社(沼田市利根町)があり、峠を越えた西側には二荒山神社「日光大権現」(沼田市白沢町)がある。また北に隣接する利根郡片品村にも二荒山神社が二社、鎮座していた。これは、どういうことなのか? 伝説では日光の神は赤城の神に反撃をされて、退散したはずではなかったのか?

二荒山神社(沼田市利根町)
日光大権現(沼田市白沢町)

 以前、著書の中で私は、神が入れ替わった理由を、こう推測した。<その昔、老神温泉では大きなワラ人形を作り、「オタスケ!」と叫びながら村人が竹やりで突いたという。もし、そのワラ人形が日光の神で、赤城の神への助勢だとしたら……。突いていた日光の神(ヘビ)を、いつしか担ぐようになったと考えられなくもない。>と。

 しかし、老神温泉が日光の神に包囲されている事実を知った今、新たな推測が成り立つ。もしかしたら赤城山以北にある老神温泉の赤城神社だけは、日光の神に攻め込まれたのではないか? だから神が入れ替わってしまったのではないか? 今となっては、神のみぞ知ることなのだが……。

(フリーライター/小暮 淳)

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