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倉賀野古墳群を再訪 巨大な円墳 大山古墳
長らく続いた赤城山麓の古墳巡りから離れ、これからしばらくは高崎市の古墳にスポットを当てていく。今回は倉賀野古墳群の一つに数えられる「大山古墳」を紹介したい。倉賀野古墳群といえば、この連載記事で6年前に取り上げたことがある。簡単におさらいをすると、倉賀野町および下佐野町に広がる古墳群で、粕沢川の左岸に沿った台地上には、かつて大小を含めて数百基にものぼる古墳が存在していた。今では大半が失われてしまったが、現存する古墳のなかで代表格の浅間山古墳、大鶴巻古墳、小鶴巻古墳の3基の前方後円墳を巡り歩いたのだった。
大山古墳は大鶴巻古墳の目と鼻の先、粕沢川を挟んだ南西に位置する。大きさは直径約56メートル、高さ約8メートル、円墳としては群馬県内でも最大級の規模である。明治時代に発掘され、主体部の粘土槨から銅鏡や石製品が出土したという。調査は行われていないため詳しいことは明らかになっていない。築造時期は大鶴巻古墳とほぼ同時期の4世紀末ごろと推測されている。
周辺は住宅地として整備され、南から西にかけて家が立ち並ぶ。すぐそこに古墳が見えるのになかなか近づけないのがもどかしい。宅地脇の北側から回り込むとようやく目の前に古墳が現れた。 その姿は樹木や藪に覆われ、うっそうとした雑木林のようで墳形はよくわからないが、やはり大きさに迫力がある。おそらくは私有地に所在しているであろうこの古墳は史跡指定されておらず、説明板が存在しない。詳細は分からないながらも、対岸に今も残る浅間山古墳、大鶴巻古墳とは築造時期や位置関係などから考察すれば、補佐的な役割を大山古墳が担っていたのではないだろうかと、想像力をかき立てられる。
◎所在地 高崎市下佐野町343
◎取材協力 高崎市教育委員会