ウィーン楽友協会「黄金の間」を満席にした実力
音楽の街・高崎を代表する「高崎第九合唱団」が、11月12日、音楽の都・ウィーンの世界的に知られるウィーン楽友協会「黄金の間」に立った。同ホールでベートーベンの交響曲第九番の合唱に単独の団体で挑むのは日本初。帰国直後、興奮冷めやらぬ団長の赤羽洋子さんと、副団長の根岸赴夫さんに公演の様子を聞いた。
本場で認められた実力
タンッタタッタ、タンッタタッタ。シーンと静まり返った空間に、群馬県民におなじみの小気味よい樽の音が響く。その空間とは、世界的に知られるクラシックの殿堂・ウィーン楽友協会大ホール。高崎第九合唱団が創立50周年と海外公演10回目を記念し、同ホールでの演奏に挑んだ。
そのオープニングを飾ったのが、八木節だ。「日本の歌も紹介したかった」と話すのは、団長で合唱の指揮を務める赤羽さん。日本から持ち込んだ樽を叩きながら歌い出すと、会場はたちまち沸いたという。日本語での「島唄」、日本語とドイツ語による「ウィーンわが夢の街」と続けた後はドイツ語での「美しく青きドナウ」、「交響曲第九番」の全曲を、休憩なしで歌いあげた。
「時間が厳密に決められているので拍手が鳴りやむ前に次の曲に移らなければならなかった」と残念そうな赤羽さん。副団長の根岸さんは「夢の舞台で気分は高揚。歌い始めると集中し、練習の成果を存分に発揮できました」と満面の笑みで話す。
リハーサル時、団員たちが歌い出すとオーケストラから「おぉ」という感嘆の声があがった。「本場のオーケストラや、クラシックに精通した観客の反応は大きな自信になった」と2人は声を合わせる。
憧れのホールを満席に
同合唱団の創立は、1974年。年末に開く第九演奏会は、高崎の冬の風物詩として定着している。コロナがまん延した2020年は、さすがに中止を考えた。しかし、富岡賢治市長に「音楽のある街、高崎。群響というオーケストラがあり、高崎芸術劇場も完成した。開かない理由はない」と背中を押されて開催。コロナ禍で演奏会を開いた合唱団としてテレビでドキュメンタリー番組が組まれ、全国に知られる存在となった。
海外公演を始めたのは、結成15年を迎えた1989年。最初の舞台となった西ドイツのハイデルベルク市の聖霊教会では、日本の第九合唱団として初の単独ドイツ公演を果たした。雰囲気も反応も異なる海外の舞台にすっかり魅せられた団員たち。その後は、チェコ、ポーランド、リトアニア、中国、スロヴェニア、スペインとさまざまな地で歌声を披露してきた。
そして今回。「黄金の間の舞台に立ちたい」という赤羽さんのひと言に団員たちも賛同。今までの活動の様子をDVDに納めてウィーン楽友協会に送ったところ、見事に審査を通過した。団員たちは、涙を流して喜んだという。同合唱団の公演の予定は、楽友協会のホームページで紹介。ホールは満員の聴衆で埋め尽くされるほどの盛況ぶりだった。
ウィーンの香り漂う歌声
現地到着後、最初に向かったのはベートーベンが眠るウィーン中央墓地。墓前で第九を合唱し、公演の成功を祈願した。また、ウィーン少年合唱団の寄宿舎で合同練習も実施。彼らから、歌を贈られた。同合唱団からは高崎だるまをプレゼント。「私服姿で初めて手にするだるまを前に見せた、あどけない笑顔が印象的でした」と振り返る。
今月9日、10日には、同合唱団初となる2日連続の演奏会を高崎芸術劇場大劇場で開く。好評によりチケットは完売。幸運にも席が確保できた人は、ベートーベンが追い求めた世界と人類の平和を願う彼らが放つ、ウィーンの香り漂う歌声に酔いしれてほしい。次回の公演は5月に予定。
現地到着後、最初に向かったのはベートーベンが眠るウィーン中央墓地。墓前で第九を合唱し、公演の成功を祈願した。また、ウィーン少年合唱団の寄宿舎で合同練習も実施。彼らから、歌を贈られた。同合唱団からは高崎だるまをプレゼント。「私服姿で初めて手にするだるまを前に見せた、あどけない笑顔が印象的でした」と振り返る。
今月9日、10日には、同合唱団初となる2日連続の演奏会を高崎芸術劇場大劇場で開く。好評によりチケットは完売。幸運にも席が確保できた人は、ベートーベンが追い求めた世界と人類の平和を願う彼らが放つ、ウィーンの香り漂う歌声に酔いしれてほしい。次回の公演は5月に予定。
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NPO法人高崎第九合唱団
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WEBサイト:https://takasaki-no9.info/