歌人の若山牧水は大正11(1922)年10月、群馬県内を横断する旅に出た。老神温泉で弟子と別れ、片品川の源流「みなかみ」を目指して一人で歩き出す。旅も終盤。はたして、たどり着けるのだろうか?
相別れ我は東に君は西に
10月26日、朝。老神温泉(沼田市)の宿で、牧水と沼田から同行した地元の文芸愛好者K―君(生方吉次)は、激しい雨音で目を覚ました。「困りましたね、これでは立てませんね」と出発をあきらめ、朝から徳利を取り寄せた。
<止むなく滞在ときめて漸くいい気分に酔いかけて来ると、急に雨戸の隙が明るくなった。「オヤオヤ、晴れますよ。」そう言うとK―君は飛び出して番傘を買って来た。私もそれに頼んで油紙を買った。>
牧水は尻から下を丸出しに、尻から上、首までを両手が出るようにして、クルクルと体を油紙と紐で包んで、宿を出た。そして風雨のおさまらぬ中、道端でK―君と別れた。
その時、牧水はK―君の番傘の裏に、こう染筆している。
『吉次君に寄す かみつけのとねの郡の老神の 時雨ふる朝を別れゆくなり / 大正十一年十月二十六日 若山牧水』。さらに、こうも付け加えた。『酔牧 なほ書きつける一首 相別れわれは東に君は西に わかれてのちも飲まむとぞおもふ』
この2首は、吉次が帰り道にたどったであろう栗生峠(沼田市)と、菩提寺である舒林寺(沼田市)に歌碑が建っている。


酒なしにして何の楽しみ
一人になった牧水は、ひたすら片品川の上流を目指して歩き続ける。<吹割の滝を過ぎるころから雨は霽れてやがて澄み切った晩秋の空となった。片品川の流は次第に痩せ、それに沿うて登る路も漸く細くなった。須賀川から鎌田村あたりにかかると、四辺の眺めがいかにも高い高原の趣きを帯びてきた。>
さらに東小川を過ぎ半里余り。白根温泉(片品村)のとりつきの一軒宿に着くころには、満月に近い大きな月明かりが照らしていた。ここでもまた牧水は、酒にまつわるエピソードを残している。
<此処もまたきわめて原始的な湯であった。湧き溢れた湯槽には壁の破れから射す月の光が落ちていた。湯から出て、真っ赤な炭火の山盛りになった囲炉裡端に坐りながら、何はともあれ、酒を註文した。ところが、何事ぞ、ないという。驚き惶てて何処か近くから買って来てもらえまいかと頼んだ。>
酒好きの牧水のことだ。『人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにの楽しみ』と、怒り心頭に発したことだろう。


雨の夜の使いっぱしり
K―君と別れて、ふたたび一人になった牧水。「深山の湯の宿で酒なしで、どうやって眠れよう」と落胆していると、「俺たちが行ってやろう!」と宿の子ども(兄妹)が飛び出して行った。が、すぐに「近くの店にはなかった」と空手で帰ってきた。
万事休す。あせった牧水は「おじちゃん、お酒がないと眠れないんだよ」と財布を取り出し、子どもたちに銀貨と銅貨を握らせ、もう一つ遠くの店まで走らせた。やがて篠突く雨が降り出した。
そこまでして!と牧水の無茶ぶりにはあきれるが、よくよく考えると当時と現代とでは事情が違うようだ。昔の子どもは貴重な労働力でもあった。子どもにとって親の手伝いをするのは当たり前だったのである。決して児童虐待などではなかった。
<雨の音と、ツイ縁側の先を流れている渓川の音とに耳を澄ましているところへぐしょ濡れになって十二と八歳の兄と妹が帰って来た。そして兄はその濡れた羽織りの蔭からさも手柄顔に大きな壜を取り出して私に渡した。>
めでたしめでたし。その夜は、さぞかしうまい酒を飲み、ぐっすりと眠りに落ちたことだろう。いよいよ明日は、夢にまで見た川の源流を行くのである。
(フリーライター/小暮淳)
【参考文献】
『新編 みなかみ紀行』 (岩波文庫)
『マンガ 若山牧水 みなかみ紀行』(利根沼田若山牧水顕彰会)
『みなかみ紀行より 利根沼田の牧水』(みなかみ町牧水会)
『校長通信 片中雑口把覧(ザックバラン)』(片品村立片品中学校)