すごいゾ!古墳 第62回 剣崎長瀞西古墳

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剣崎・若田地区の古墳を巡る(1)帆立貝形の剣崎長瀞西古墳

 高崎市の古墳巡りはまだまだ続く。佐野古墳群から離れて今度は剣崎地区へ。国道406号線を西へ向かって進み、下大島町の信号を左折してU字カーブをのぼった先に目印となる西部小学校が見えてくる。学校側へ左折するとフェンスに囲まれた古墳がすぐに見つかる。これが剣崎長瀞西古墳だ。

 北側を烏川、南側を碓氷川に挟まれた八幡台地の北端に所在する。視界が開け、赤城山や榛名山がよく見える場所だ。南東側には写真付きの説明板が立っている。長らく直径約30メートルの円墳と考えられていたが、平成10年の発掘調査によって幅3メートルの周堀を巡らす帆立貝形古墳の可能性が濃厚となった。墳丘は二段築成で葺石や埴輪も確認されている。一段目のテラス部に円筒埴輪が並んでいたと推測でき、南側に張り出したテラス部では家形埴輪が出土しているという。

 主体部は墳頂部と南テラス部の2カ所に「竪穴系」の埋葬施設が発見されている。墳頂部の主体部は、昭和7年に開墾中に発見され、銅鏡や鉄製短甲、多くの滑石製模造品が出土した。現在は東京国立博物館に保管されている。いっぽうのテラス部の主体部は、平成10年の調査で発見され、調査後にそのままの状態で保存されている。剣崎長瀞西古墳は、出土品から5世紀後半に築造されたものと推定される。

 古墳のすぐ東側には「剣崎長瀞西遺跡」が発見されており、渡来人の墓と考えられる四角い「積石塚」のほか、韓式系土器や金製の耳飾りなど朝鮮半島の文化と関連する遺物が出土している。なかでも、くつわを装着したまま埋葬された馬の骨が発見されたことは、渡来人が馬の生産に携わっていたことを知る貴重な痕跡である。ただし遺跡の面影はどこにも見当たらないのが残念で仕方ない。

◎所在地 高崎市八幡町1414
◎取材協力 高崎市観音塚考古資料館

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